学ぶきっかけに感謝

教師になり、今年で10年目となった。まだまだ研究も修養も足りない身であるが、少しでも子供たちの未来に繋がるよう、日々の努力を重ねているところである。

 

今回、ある方に学びの機会をいただいた。感謝である。

 

 

まず初めにお伝えしたいのは、これから書く文章は、もともとは私の文章力がなく、自分の考えを十分に伝えられるような文が書けなかったことがきっかけである。

 

また、以下、長文となるが、先に書いたように、文章力のない私の書くことである。間違っていることや勘違いしていること、文章の書き方として不適切なこともあると思う。その際は、ぜひ御指導いただきたい。それが、さらに自分の考えを深める機会になるからである。

 

 

 

では、本題に入る。

先日、私がブログに書いた記事

http://harutopia19860507.hatenablog.com/entry/2019/01/01/214910

について塾の講師をされている方から以下のような御意見をいただいた。

 

 

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困惑。

 

高校時代の同級生が先生になっているらしく、以下のような投稿をしていました。
「国語と道徳の違いは何か」というテーマですが、
「国語は答えがある(点数がつく)。道徳はつかない。」
ではダメなんですかね…。

国語→漢字などの知識、文章読解方法、情景の読み取り方法 

道徳→感情読み取り、自らの意見の正確な伝達方法
を勉強する。

という分類も恐らく出来てないんでしょうね…。そんなこともわからないで教壇に立ってる。
本人曰く投稿内容に推敲がなされてないようですし、あんまり真面目にやってないのかな…。僕はFacebookの投稿でさえ編集をよくしてます。少しでも分かりやすくするために。(基本アホなことしか話さないけど)

何が言いたいのか、というと
「皆さん、お子さんを塾に通わせましょう( ´∀`)」

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これに対し、自分の中で、相手の言っていることを学びにつなげたいと思い、書かれていることについて考えたり調べたりすることにした。

 

一部引用しながら、自分の考え等を述べる。

 

 

>国語→漢字などの知識、文章読解方法、情景の読み取り方法 

>道徳→感情読み取り、自らの意見の正確な伝達方法
>を勉強する。

>という分類も恐らく出来てないんでしょうね…。そんなこともわからないで教壇に立ってる。

 

 

なかなか厳しい言葉で締めくくられている。

 

「漢字などの知識」

もちろん指導する。学習指導要領の言葉を借りるならば「文字に関する事項」に当てはまるだろう。

 

「文章読解方法」

これももちろん指導する。学習指導要領には、国語の教科の目標が書かれている。

「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。」

と。この中の「正確に理解する能力」に当てはまるだろう。

 

「情景の読み取り方法」

これについても、もちろん指導する。学習指導要領に

「場面の移り変わりに注意しながら,登場人物の性格や気持ちの変化,情景などについて,叙述を基に想像して読むこと。」

とある。情景“など”である。情景だけでは足りない。

 

相手の方には、学習指導要領を見て、さらに分類されていることを確認していただきたい。私自身、今回の御意見をいただいたことで、改めて学習指導要領を見る、つまり学ぶきっかけをいただいた。感謝である。

 

 

 

道徳について書かれていることはどうだろうか。

 

「感情読み取り」

学習指導要領にこのような文がある。

「読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例があることなど,多くの課題が指摘されている」

“感情読み取り”と“心情理解”はイコールではないが、心情理解のみに偏ってはいけないのだ、と再確認することができた。

 

「自らの意見の正確な伝達方法」

確かに道徳で“も”行う。
しかし、道徳だけで行うわけではない。国語でも算数でも、他教科でも、そして、生活の中でも教えたいことである。

 

 

 

この「国語と道徳の違い」についてだが、私はブログの記事に、「読み取り」という視点で国語と道徳の違いを書いたつもりであった。しかし、最初にも書いたように、私の文章力のなさゆえに、国語「全体」と道徳「全体」の違いに論点がずれてしまった。

 

 

最初にも同じことを書いたが、もう一度書く。

 

教師になり、今年で10年目となった。まだまだ研究も修養も足りない身であるが、少しでも子供たちの未来に繋がるよう、日々の努力を重ねているところである。

 

>そんなこともわからないで教壇に立ってる。

 

この言葉に大きく反応した自分を感じられたことで、今の仕事に対する自分の思いを改めて感じることができた。感謝、感謝である。