道徳「葛藤場面」「両方の正しさ」

道徳で葛藤場面を活用することがあります。

 

例えば、

『手品師』で、手品師は「大劇場を選ぶ」か「男の子を選ぶ」か。

『ブランコ乗りとピエロ』で、ピエロが「サムを許す」か「サムを許さない」か。

 

この時に、自分だったらどちらの立場かを選ばせて、それぞれの意見を言わせることが多かったのですが(自分の実践で)、話は進み、主人公はどちらかの道へと進みます。

これ、なんだか、反対を選んだ児童が、間違いだったかのような雰囲気になりかねません。

 

では、どうしようか。。。と考えました。

 

んで、思ったのは、

両方の立場を考えさせればいいんじゃない?

ってことなんです。

 

いや、当たり前といえば当たり前なのですが。

 

例えば、『手品師』で、「大劇場を選ぶ」にも「男の子を選ぶ」のも、どちらにも「正しさ」があると思います。

 

「この場面、手品師は、大劇場に行くか、男の子のところに行くか悩んだと思うんだ。大劇場を選ぶのも男の子を選ぶのも、どちらも間違いじゃないよね。どちらにも正しさがあると思うんだ。みんなで、両方の正しさを考えていこう。」

 

的な。

 

そして、意見が出たところで

「両方の考えに正しさがある中で、なんで手品師は男の子のところに行くことを選んだのかな?」

 

って聞けば、「誠実」に関する正しさを選んだというところに近づけるのではないかと思います。

 

あ、、、自分の夢に近づくチャンスを蹴り、友人の誘いを断ったのは不誠実ではないか、、、というのは、ここでは考えないでください。

例え話なので。

 

この「両方の正しさを考えさせる」って方法はかなり限定的な方法だと思われます。

授業の流れもある程度限定されてくると思います。

 

が、、、葛藤場面を活用する際には、これが使えないかな?って考えてみると、教材研究にも繋がると思います。

キーワードは「両方の正しさ」です。