道徳「道徳読み」「通知表を付ける」

Q.通知表はAかCではないといけないのか。(Bではだめなのか。)

A.だめだと思います。

 

以前の日記で、こんなことを書こうと決めてから何日経ったことでしょうか。

だいぶ時間が「過」ぎています。

「過」ちでございます。

 

しかし!

「更むるや人皆これを仰ぐ」

という言葉もあります!

仰がれるようなこともしていませんし、かなり自分に都合の良い使い方ですが、、、

 

さて、本題に。

「道徳読み」のパートの中に「通知表を付ける」というものがあります。

資料全体を通して、主人公(または登場人物)に通知表を付けるとしたらAかCか。という活動です。

 

この活動を行うと、あきらかにAである主人公や、どう考えてもCである主人公もいます。

なんだか、クラスの意見がAとCに別れなくてはいけないようなそんな気になってしまうのです

(これ、葛藤場面を作ろうと真面目に取り組んだ方ほどそんな気になってしまうかも知れません)

が、そんなことはありません。

全員A(C)でも、なぜA(C)と考えたのかを聞くと、子供たちは根拠とする場所が違います。

多面的な見方に繋がるのではないでしょうか。

 

さてさて、この「通知表を付ける」ですが、(「道徳見つけ」が部分的に良い悪いを判断するのに対し、)資料全体を俯瞰して良い悪いを判断することになります。

もしくは、ある一部が決定的に良い!とか取り返しが付かないほど悪い!といった判断をすることになります。

道徳の資料って、「前半に悪いことをした子が後半に改心する」ってパターンが多い(?)ので、前半の悪い部分の比重が大きいか、後半の良い部分の比重が大きいか、って感じで考えることが多くなるかも知れません。

 

この判断ですが、個人の経験次第で変わります。

同じ場面を見ても、改心したんだからA!ってなる子もいれば、改心したとは言い切れないし、あまりにもひどいことをしていたからC!ってなる子もいます。

 

ところで、最初に書きましたが、通知表を付けるときに、AかCでなくてはいけないのか。Bではいけないのか。という疑問ですが、、、

(これ、道徳読みを実践された方は、一度は考えるのではないかと思うのですが)

個人的にはBは付けてはいけない!!と思っています。

むしろ、子供たちから「先生!Bじゃだめですか?!」なんて声が出たときは、深く考えさせるチャンスだと思います。

そこで、「Bでもいいよ^^」と言ってしまうと、思考が止まります。

だって、AかCか困っているところで、Bでもいいと言われたら、もう悩む必要がないですもの。

 

実際の生活場面では「B」と判断することは多くあると思います。

AともCとも言えない事ってたくさんあります。

評価すべきではないことだってたくさんあります。

 

でも、いつもいつもB!とは言えません。

時にはA!とかC!とか言わなくてはいけないこともあります。

だから、道徳の授業で、立場をはっきりさせ、悩む経験をすることも大切だと思っています。

 

 

 

 

 

※ここまで書いていて、自分の中で整理できていることと整理できていないことがあることに気付かされています。

これ以上書くと蛇足になりそうなので、もう少し考えて考えて考えて、、、いつか書きます。

 

※ブログを書く前に読んだ文章に影響され、書きっぷりがなんだかいつもと違う気がします。

こういう変化、個人的には楽しく思います。