道徳「道徳読み」「通知表を付ける」
「道徳読み」のパート4は「通知表を付ける」です。
実践する中で、このパートにもいくつかポイントがあると思えるようになりました。
その中で、例えば、「誰に通知票を付けるか」といったあたりは、道徳読みを始めたころにすぐに考えたり疑問に思ったりすることだと思います。同時に、すぐに工夫していけるところでもあると思います。今回は、そのことについて私なりに考えたことを書いていこうと思います。
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以下、だいぶ読みにくい文章(考えがうまくまとまらないまま書いた文章)となっています。
アウトプットの難しさを感じています。
最後の方は、考えがまとまらないため、かなり手抜きな書きっぷりになったこと、反省しております。
寛容な心で読んでいただけるとありがたいです。
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道徳読みに取り組み始めたころ、このパートでは、主人公(登場人物への自我関与で扱う人物)に通知表を付けるのが当たり前だと考えていました。
その考えは決して間違いではなく、子供たちが一生懸命に取り組む様子が見られました。
実際、道徳読みを始めたころ、たまたまそういう教材だったのか、子供たちから「先生、Bではだめですか?」という質問が出るほど、子供たちなりに葛藤している様子を見ることができました。
(「通知表を付ける」ときには、登場人物が道徳的にAかCかを考えさせます。この時は、Bという判断はだめだと答えました。結果的に成功だったと考えています。このことについては、別の機会に書き記したいと思います。)
しかし、教材研究として自分で資料・教材を道徳読み(主として「道徳みつけ」)してみると、主人公ではない人物に通知票を付けることで、より道徳的価値について深く考えることができるのではないか、と思う資料・教材に出会うことがあります。
(ただし、その道徳的価値が、指導所に書かれている(年間指導計画に書かれている)価値項目とは異なることがあるので、注意が必要です。)
というのも、教材研究として道徳読み(主として「道徳みつけ」)をしていると、指導所に書かれている価値項目とは異なる価値に、その重要さを感じることがあるのです。
これは、読み取る側(教師)の、それまでの経験や思考が大きく影響します。
自分(教師)にとっては重要でも、子供たちにとってはそれほど重要ではない、ということもあるかもしれませんが。。。
しかし、誤解を恐れずに書きますが、教科書には「主題名」や「内容項目」が記されており、勘のよい子は、本時で学ぶべきことがなんとなく分かってしまう状況があります。
(これが悪いことだとは思いません。むしろ大切なことだと思います。異なる考えに触れてさらに道徳的理解が深まることもありますし、学んだことに対して自分はどうだろうかと省みることで深まることもあると思います。)
そこにさらに揺さぶりをかけていく指導法もあるかと思いますが、これは、私にとっては簡単なことではありません。
(揺さぶりをかける発問というのが、私にはなかなか思いつかないのです。)
しかし、通知票を付ける人物を変えてみる、というのはとても簡単な方法です。
(一つの方法として取り入れやすい、という意味です。)
そして、様々な価値に触れさせるチャンスになります。
さらに、子供たちの実態に応じて、誰に通知票を付けるのか各自に選択させるという方法も考えられます。
(このことについても、別に機会で触れたいと思います。)
「誰に通知表を付けるか」ですが、簡単にまとめると以下のようになります。
①主人公
→指導所に書かれている価値項目に近づきやすいと思います。
②主人公以外の登場人物
→指導所に書かれている価値項目から離れることもありますが、異なる角度から考えを深めることができると思います。
③自分で選ばせる
→様々な価値に触れさせることができます。
さて、備忘録として、、、
Q.通知表はAかCではないといけないのか。(Bではだめなのか。)
A.だめだと思います。
Q.通知票(AかC)をつける以外にどのような方法があるか。
A.所見なんていかがでしょう。
Q.「道徳みつけ」のあとに、通知票を付ける以外にどのような方法があるか。
A.今までの指導法でも取り入れられていた葛藤場面を設けてはどうででしょう。(「道徳みつけ」をすることで、葛藤場面が充実すると思います。)
こんなことも今後書けたらと思っています。