道徳「道徳読み」「道徳見つけ」「国語の読み取りとは異なる」

『大造じいさんとがん』の中で、大造じいさんが残雪を捕まえる際、銃をおろす場面がある。

 

「が、なんと思ったか、再びじゅうを下ろしてしまいました。」(本文より)

 

この場面を「道徳読み」の「道徳見つけ」で行うと

良い道徳:生き物の命を奪わずに済んだから

悪い道徳:せっかくのチャンスを生かせなかったから

という記述が見られるかもしれない。

 

しかし、国語ではそうはいかない。

 

「なぜ大造じいさんは銃を下ろしてしまったのか。」

と問われたときに

「生き物を殺してはいけないと思ったから。」

と書いても正解にはならないだろう。

 

「が、」がどのような効果を持っているのか考えなくてはいけない。

「なんと思ったか」を読み取るための文を本文から見つけなくてはいけない。

「下ろしてしまいました」という表現について「下ろしました」とは違う印象を受けることから、考えを深めなくてはいけない。

 

国語の読み取りは、文というよりも、単語や文節に注目し、叙述をもとに「読み取り」をする。

道徳は、文を読んでイメージされる映像について、経験をもとに「善悪の判断」をする。

 

このように考えることで「道徳読み」の「道徳見つけ」は国語の読み取りとは異なると

説明できるのではないだろうか。

学ぶきっかけに感謝

教師になり、今年で10年目となった。まだまだ研究も修養も足りない身であるが、少しでも子供たちの未来に繋がるよう、日々の努力を重ねているところである。

 

今回、ある方に学びの機会をいただいた。感謝である。

 

 

まず初めにお伝えしたいのは、これから書く文章は、もともとは私の文章力がなく、自分の考えを十分に伝えられるような文が書けなかったことがきっかけである。

 

また、以下、長文となるが、先に書いたように、文章力のない私の書くことである。間違っていることや勘違いしていること、文章の書き方として不適切なこともあると思う。その際は、ぜひ御指導いただきたい。それが、さらに自分の考えを深める機会になるからである。

 

 

 

では、本題に入る。

先日、私がブログに書いた記事

http://harutopia19860507.hatenablog.com/entry/2019/01/01/214910

について塾の講師をされている方から以下のような御意見をいただいた。

 

 

**********

困惑。

 

高校時代の同級生が先生になっているらしく、以下のような投稿をしていました。
「国語と道徳の違いは何か」というテーマですが、
「国語は答えがある(点数がつく)。道徳はつかない。」
ではダメなんですかね…。

国語→漢字などの知識、文章読解方法、情景の読み取り方法 

道徳→感情読み取り、自らの意見の正確な伝達方法
を勉強する。

という分類も恐らく出来てないんでしょうね…。そんなこともわからないで教壇に立ってる。
本人曰く投稿内容に推敲がなされてないようですし、あんまり真面目にやってないのかな…。僕はFacebookの投稿でさえ編集をよくしてます。少しでも分かりやすくするために。(基本アホなことしか話さないけど)

何が言いたいのか、というと
「皆さん、お子さんを塾に通わせましょう( ´∀`)」

**********

 

 

これに対し、自分の中で、相手の言っていることを学びにつなげたいと思い、書かれていることについて考えたり調べたりすることにした。

 

一部引用しながら、自分の考え等を述べる。

 

 

>国語→漢字などの知識、文章読解方法、情景の読み取り方法 

>道徳→感情読み取り、自らの意見の正確な伝達方法
>を勉強する。

>という分類も恐らく出来てないんでしょうね…。そんなこともわからないで教壇に立ってる。

 

 

なかなか厳しい言葉で締めくくられている。

 

「漢字などの知識」

もちろん指導する。学習指導要領の言葉を借りるならば「文字に関する事項」に当てはまるだろう。

 

「文章読解方法」

これももちろん指導する。学習指導要領には、国語の教科の目標が書かれている。

「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。」

と。この中の「正確に理解する能力」に当てはまるだろう。

 

「情景の読み取り方法」

これについても、もちろん指導する。学習指導要領に

「場面の移り変わりに注意しながら,登場人物の性格や気持ちの変化,情景などについて,叙述を基に想像して読むこと。」

とある。情景“など”である。情景だけでは足りない。

 

相手の方には、学習指導要領を見て、さらに分類されていることを確認していただきたい。私自身、今回の御意見をいただいたことで、改めて学習指導要領を見る、つまり学ぶきっかけをいただいた。感謝である。

 

 

 

道徳について書かれていることはどうだろうか。

 

「感情読み取り」

学習指導要領にこのような文がある。

「読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例があることなど,多くの課題が指摘されている」

“感情読み取り”と“心情理解”はイコールではないが、心情理解のみに偏ってはいけないのだ、と再確認することができた。

 

「自らの意見の正確な伝達方法」

確かに道徳で“も”行う。
しかし、道徳だけで行うわけではない。国語でも算数でも、他教科でも、そして、生活の中でも教えたいことである。

 

 

 

この「国語と道徳の違い」についてだが、私はブログの記事に、「読み取り」という視点で国語と道徳の違いを書いたつもりであった。しかし、最初にも書いたように、私の文章力のなさゆえに、国語「全体」と道徳「全体」の違いに論点がずれてしまった。

 

 

最初にも同じことを書いたが、もう一度書く。

 

教師になり、今年で10年目となった。まだまだ研究も修養も足りない身であるが、少しでも子供たちの未来に繋がるよう、日々の努力を重ねているところである。

 

>そんなこともわからないで教壇に立ってる。

 

この言葉に大きく反応した自分を感じられたことで、今の仕事に対する自分の思いを改めて感じることができた。感謝、感謝である。

大和言葉

横山験也先生がFacebookに投稿された内容より、

大和言葉」というものについて知るきっかけをいただきました。

 

『和を以て貴しとなす。』

皆さん、どのように読まれますか?

 

おそらく、「わをもって~。」と読まれるでしょう。

これを大和言葉で読むと「やわらぎをもって~。」となります。

 

私は、このことを知り、

「わ」と読むより「やわらぎ」と読む方がしっくりきました。

 

「やわらぎ」と読むことで、

己の心の持ちようを大切にしなくてはいけないと考えさせられたのです。

 

まずは自分の心が始まりです。

 

和らぎをもって過ごせるよう心掛けたいと思います。

 

道徳「国語との違い」

「道徳読み」のパートの一つである「道徳見つけ」について話しているとき、

それって「読み取り?」「国語と同じでは?」という話題になりました。

 

横山験也先生がブログで、

算数脳、国語脳、道徳脳について書かれています。

www.sakura-sha.jp

 

私は、ここに書かれていることや、今まで学んだことから、

国語は「叙述をもとに」、道徳は「経験をもとに」

と言うこともできるかなと思っています。

 

たとえば、国語の教科書に『大造じいさんとガン』という物語があります。

(以下、思いつきの内容をメモとして書き残しますので、読み取りの浅さには目をつむっていただけると有り難いです。)

 

この物語の中で、大造じいさんは、様々な作戦を立て、残雪を捉えようとします。

その作戦の中で、おとりのガンを使う作戦があります。

 

「おとりのガンを使った大造じいさんは、卑怯か、卑怯がないか。」

という問いを用いた実践があります。

 

叙述をもとに

・大造じいさんが狩人であること

・残雪が来るようになってから狩りがうまくいっていないこと

・ガンの習性を生かした、知恵ある作戦であること

・何年も時間を掛けて仕込みをしたこと

等を捉え、「卑怯ではない」と結論づけるのが一般的だと思われます。

 

しかし、道徳では、、、

子供たちの中に狩人はいません。(いや、いるかもしれませんが。)

 

では、子供たちに道徳の時間に

「おとりのガンを使った大造じいさんは、卑怯か、卑怯がないか。」

と問うたときに、何をもとに判断するかというと“経験”ではないだろうかと思うのです。

 

そして、道徳の学習では、叙述をもとに「卑怯ではない」と結論づけることが重要なのではなく、

「なるほど、卑怯だと思う人は、こういう考えを持っているのだな。」

「そうか、そういう見方をすれば、卑怯ではないという判断もありだな。」

というように、自分の考えとは異なる考えを受け入れ、

様々なものの見方を身に付けることが重要なのだと思います。

 

「道徳見つけ」で線を引き、善悪の判断をするときには、個々の経験がもとになります。

だから、同じところに線を引いていて、Aさんは善と判断し、Bさんが悪と判断していてもよいのです。

善か悪かと答えを出す必要はないのです。

 

このように書くと、

『「登場人物が、店の物を盗んだ」という文に線を引き、善としている子がいてもよいのか』

という疑問が(極端ですが)浮かぶ方もいるかもしれません。

 

これ、たぶんダメなんですけど、

登場人物がとても貧乏で、子どもに薬も買えない状況で、、、

という状況だったらどうでしょう。

 

「いや、それでもだめだろ。」

「うわぁー、その状況じゃしょうがないかも。」

 

意見が分かれるのではないでしょうか。

 

では、このお話の中にある叙述について一つ一つ検討し、判断しますか?

それは、国語の学習で行うことだと思います。

 

道徳の学習では、迷えばいいのです。

自分だったらどうするだろうかと考えればよいのです。

友達はどのように考えているのだろうかと意見を交流すればよいのです。

正解のない問題のままでよいのです。

 

しかしながら、この一部分だけを扱っても考えは深まりません。

「道徳見つけ」で前後の文も読み、つなぎ合わせていくことで見えてくることもあります。

 

道徳の教科書の指導書をみると、問いが大きく3つ程度あります。

前後のつながりが学習を深めていくことになるからだと思います。

 

「道徳見つけ」をすることで、自然と前後のつながりを意識しながら

資料を読み進めていくことができます。

「道徳みつけ」は、自力で学習を深める、道徳について考えられる子供たちを

育てることのできる可能性を秘めた指導法だと思います

道徳『資料の予習』

道徳は「答えのない教科」である。

これに対して、算数は「答えが一つしかない教科」である。

(と、いうことにしましょう。)

 

 

以下、私が道徳・算数に対してもっているイメージ。

 

<道徳>

・様々な価値に触れ、考えを広げていく・深めていく

・アプローチの仕方によって、結果が変わってくることもある

・美徳という言葉がある

 

<算数>

・様々な価値に触れながらも、よりよい方法を考える

・アプローチの仕方は様々だが、答えは変わらない

・公式や法則に美しさがある

 

 

 

道徳も算数も多様な考えにふれることが大切である(と思いますが、いかがでしょう。)

 

 

 

さて、ここからが本題です。

 

道徳で、多様な考えに触れる時間をどのように作り出すか。

 

「道徳読み」の「道徳みつけ」を行い、それを「交流する」ことで多様な考えに触れることができると考えている。

「道徳みつけ」では、様々な内容項目について触れることができる。

しかし、これだけで45分のほとんどが終わってしまうこともあると、以前の記事に書いた。

 

では、その資料で一番考えたい内容項目について、多様な考えに触れるにはどうするか。

そのためには、「道徳みつけ」による『資料の予習』が一つの手立てとなると考えている。

1学期前半に、「道徳みつけ」だけで45分のほとんどを使ってしまう授業展開となってしまっても、長期的に考えると、「道徳みつけ」の仕方が分かり、自分で「道徳見つけ」が行えるようになると、資料の予習が可能となるという利点が生まれる。

 

すると、教師の範読の時間が省ける。

教師の範読が必要ないというわけではない。

教師の範読が効果的なこともある。

 

しかし、多様な考えに触れさせるために時間の確保が必要ならば、資料の予習を行い、教師の範読をなくすこともあり、ということである。

範読となくすと、授業のスタートとともに、「道徳みつけ」でどのような道徳を見つけたかを交流することからスタートできる。

さらに、中心発問に時間を使うこともできる。

 

 

道徳の予習、オススメです。

 

 

 

前回の記事も一緒に御覧いただかないと、少々伝わりづらい内容となってしまいましたが、御一読いただきありがとうございました。

道徳

先日、

道徳見つけの後の発表の時間が足りなくなる。
私自身の実践で、1学期の数回は、「道徳見つけ」と「発表」で、45分のほとんどを使ってしまった。

という内容の記事を書きました。



えっ!道徳見つけと発表で45分って……内容項目はどうなるの??という話になると思います。

その際の進め方の例です。



一学期の最初の時期は、短い時間しか考える時間がとれないのを覚悟で「ここだ!」というポイントについて児童に発問し考える時間をとります。
この発問はもちろん内容項目に関係する発問です。
そして、考えたことについて、普段の自分はどうだろうかと省みる活動をします。


道徳見つけで、様々な道徳的価値に触れ、
発問で、中心となる内容項目に触れ、
最後には、自らを省みる活動を行います。


中心となる項目について、じっくり考えられることはできないかもしれませんが、一学期の最初の時期は、「道徳見つけ」の仕方や、「道徳見つけ」で様々な道徳を見つけられるような下地を作ることを狙いとします。
この下地作り(「道徳見つけ」が一人でできる。様々な道徳を知っている。)が、後々の道徳授業を深めることに繋がります。


さらに、教科書には、内容項目の同じ資料が何度か出てきます。
年度当初にじっくりできなかった内容項目ついては、もう一度考えることもできます。
さらにいうと、1年生と2年生、3年生と4年生、5年生と6年生、という見通しの持ち方もあると思います。


また、内容項目や4つの視点(主として~)は相互に関連を持っています。
「道徳見つけ」で様々な価値に触れることで、関連付けながらの読み方も身に付くと考えられます。


「45分」のみで考えると苦しくなります。
「45分×35回」と考えると少し余裕が生まれます。




これまた、一つの例ですが、


前に扱った『◯◯』という資料では、思いやりについて行動に表すことが大切だと考えさせられたけど、見守る思いやりもあるんだねぇ。


こんな話ができるといいなぁ、と思っています。





まとまりませんが……御一読ありがとうございました。

「道徳読み」「道徳見つけ後の発表の時間が足りない」

道徳読み――教科書を使う道徳の新しい授業法

道徳読み――教科書を使う道徳の新しい授業法

「道徳読み」を実践された方から多く聞かれる声かある。
それは、「道徳見つけの後の発表の時間が足りない」というものである。

グループでやっていても、なかなか話題がつきない。
全体で発表したら、意見がたくさん出て、時間がかかる。
なんとも嬉しい悩みである。
私自身の実践でも、1学期の数回は、「道徳見つけ」と「発表」で、45分のほとんどを使ってしまった。

では、
発表の時間をどのように確保するか。
発表の仕方をどのように工夫するか。
中心となる発問はどう扱うか。
2学期はどうするか。

なかなか更新できずにいるブログですが、今後のためにメモとして書きました。
まとまりませんが、御一読ありがとうございます。