赤信号

赤信号では横断歩道で止まるのが正しい。

これは「規則」「ルール」を守るのが大切だから。


赤信号の横断歩道の真ん中で人が倒れているときはどうするか?

助けに行くだろう。これは、「命」を守るのが大切だから。

でも、車通りが多くて、助けに行ったら自分の命が危ないかもしれない。ってなったらどうする?


友達との約束に遅れそうなとき、赤信号だったらどうするか。

なぜ遅れそうになったのか、その背景によって変わるかもしれない。

友達の状態によって変わるかもしれない。

他にも要因はたくさんあるかもしれない。


道徳では、こういった自由な考えが扱えるといいなぁと思う。

教材には書かれていないけれど、可能性があること。



陰徳

「道徳」について今年の学級の子供たちにどのように伝えようかと考えている中で、「陰徳」という言葉に出会いました。

 

「陰徳」という言葉、恥ずかしながら知りませんでした。

 

「陰徳」という言葉を知った瞬間、下の図が思い出されました。

 

ブログ『横山験也のちょっと一休み』より

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あぁ、早く伝えたい。。。

「出口」違い。

テレビで「出口戦略」について放送されていました。

 

なぜ?と思いました。

 

なぜ今さら、国語の出口論争が話題になっているのかと。。。

 

ニュースを見ていたら、全く違う内容でした。

 

そりゃそうだよな、と思いました。

 

「出口論争」については、同僚の愉快なおじさん(親しみを込めて)から教えてもらいました。

 

愉快なおじさんのおかげで、クスッと笑える出来事に出会えました。

 

感謝です。

 

自分も、いつか愉快なおじさんのようにになりたいものです。

先生はトイレではありません。

児童「先生、トイレ。」

教師「先生はトイレではありません。」

 

このような声掛けの実践があります。

最近、この実践の危うさを感じています。

 

この実践で大切なのは、このセリフではなく、

このあとに「先生、トイレにいてもよいですか?」と言えるように指導することだと思います。

 

つまり、このあとの指導やフォロー、学級全体への取り上げ方について理解することが大切なのです。

 

理解しないまま、「先生はトイレではありません。」と言う指導をするとどうなるか……

似た場面で「〇〇は△△ではありません」といった、揚げ足を取るような姿が見られるようになるおそれがあります。

 

たまたまこの実践を知って、

(これはおもしろそうだ!やってみよう!)と思っていたところ、

早速、「先生、トイレ。」と言ってきた児童がいたので

(チャンスだ!よし!行ってみよう!)ということで、

「先生はトイレではありません!!」と言ったら……

……その子は腹痛で一刻も早くトイレに行きたい状況だった。

なんてこともあるかもしれません。

 

最初に、「この実践の危うさ」と書きましたが、この実践自体が危ういのではなく、

「この実践がなぜうまれたのか考えずに実践する人が危うい」ということです。

 

よい実践を知り、「やってみよう!」と思うのはとてもよいことだと思います。

私も、このように思って実践してきたことがたくさんあります。

そして、たくさん失敗してきました。

たくさん失敗したからこそ、今の自分があります。

でも、今思えば、もう少し考えてから行動すればよかったなということもたくさんあります。

 

自分への戒めに、ふと思ったことを書きました。

計算ドリルへの取り組み方から見える目的と方法の在り方

計算ドリルの最後に「一回目」や「二回目」が終わったらチェックをするページがありますよね。

低学年を担任すると「計算ドリルを三回行う」という指導をされている方も少なからずいるのではないでしょうか。もしかしたら学校で決まっている方もいるかもしれません。

この指導の目的は、おそらく「学び方の指導をすること」だと思います。

しかし、メタメッセージとして「三回やればそれでいいよ」と伝わっている可能性があります。

高学年になると、家庭学習の時間の目安が長くなります。

そして、保護者の方々から「自主学習で何をすればいいのか分からないみたいで……もっと宿題(漢字や計算の取り組む場所の指定)を増やしてください。先生に言われたことはやるので。」と言われることがあります。

まず、「言われたことはやる」というのは、素直でよいことです。すばらしいと思います。

しかし、目指すはその先です。自分で考え、実行できるようにならなくてはいけません。

何をやればいいのか分からないなら、とりあえず漢字や計算のドリルやスキルをやればいいのではないかと思うのです。

……だが!しかし!!

ここで最初の話題を思い出してください。

子供たちは計算ドリルは「三回やればそれでいいよ」というメタメッセージとその呪縛に縛られているのです。

5回でも10回でもやって、タイムを伸ばそうとか考える余地がないのです。
(もちろん、算数が得意な子供たちにとっては必要ないかもしれませんが。)

「宿題や自主学習が何のためにあるのか、考え直して指導する必要があるなぁ」と感じています。



メモ
・計算ドリルタイムトライアル
・自主学習パワーアップ会議